エンタテインメント事業
THE PRETTY THINGS
Photo by : Mark St. John
1963年にプリティ・シングスが結成された経緯にはプリティッシュ・ロックの興味深い一幕が伺える。ギタリストのディック・テイラーがバンド結成前に在籍したリトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズというバンドには他にミック・ジャガーとキース・リチャーズもいて、その3名はブライアン・ジョーンズのバンドに加入、やがて1962年にローリング・ストーンズと名乗ることになる。ところがギタリストが多すぎるとの理由からベースに転向したディック・テイラーは5か月後に脱退しアート・カレッジに進むが、在学中にヴォーカリストのフィル・メイに誘われて再びギタリストとしてバンド結成に動き、プリティ・シングスを始動させた。70年代に2度の解散と再結成を経て現在も活動するこのバンドは入れ替わりが激しく、参加したミュージシャンはこれまでに30人以上に上っている。プリティ・シングスの名を一躍知らしめた3枚目のアルバム『S.F. Sorrow(S.F.ソロウ)』は1968年12月にリリースされた。アルバムは1967年12月から1968年9月にかけてアビー・ロード・スタジオで録音されたが、そこでは同じ時期にピンク・フロイドが『A Saucerful of Secrets(神秘)』を、ビートルズが『ホワイト・アルバム』の名で知られる『The Beatles(ザ・ビートルズ)』を録音していた。またその後1974年にはレッド・ツェッペリンが設立したスワン・ソング・レーベルの第一号リリースとして『Silk Torpedo(シルク・トーピード)』をリリースするなど、ジミー・ペイジ本人を含めた熱烈なファン層があったことをうかがわせる。バンドは変遷を経ながら現在まで活動を続けたのだが、2020年5月15日にリーダーのフィル・メイが自転車事故で傷めた股関節の手術後の合併症により、惜しくも亡くなってしまった。IACではフィル・メイがその直前に盟友ディック・テイラーと制作したアコースティック・ブルース・アルバム『Bare As Bone, Bright As Blood〈真実の姿〉』をリリース。