エンタテインメント事業
KALAPANA
1973年にハワイ出身の幼馴染だったデヴィッド・ジョン・プラットとカール・ジェイムス・マラニ・ビリューがデュオを組んでセシリオ&カポノのオーディションに参加したことに端を発し、その後ブライアント・マッキー・フィアリーとカーク・トンプソンが加わってカラパナを結成。ファースト・アルバム『Kalapana〈ワイキキの青い空〉』(1975)はその親しみやすいメロディーと美しいコーラス・ワークが評判となり、シングル「Nightbird〈ナイトバード〉」がアメリカ本土でもヒットを記録、続くアルバム『Kalapana II〈カラパナⅡ~ワイキキの熱い砂~〉』(1976)からのシングル「Juliette〈愛しのジュリエット〉」も大ヒットとなり、ハワイアンAORの代名詞としてアメリカのみならず日本でも大きなファン層を獲得した。ソロの道へ転身したマッキー・フィアリーに代わってアルヴィン・フェジャラン、マイケル・パウロ、ランディ・アロヤが加わって6人編成になってリリースされた『Kalapana III〈カラパナⅢ~褐色の誓い~〉』(1977)もヒットを記録、同年中野サンプラザで初来日公演を行った。その後サウンドトラック作『Many Classic Moments〈メニイ・クラシック・モーメンツ〉』(1978)、『North Bound〈ノース・バウンド〉』(1979)、またデヴィッド・ジョン・プラットとアルヴィン・フェジャランの他のメンバーを一新した『Hold On〈ホールド・オン〉』(1980)をリリースした後、1983年の再結成ライヴを除いてバンドは休止期間に入る。1986年にデヴィッド・ジョン・プラット、マラニ・ビリュー、マッキー・フィアリーにゲイロード・ホロマリア(キーボード)と佐野健二(ベース)を加えた5人編成で『Hurricane〈ハリケーン〉』をリリースして復帰、その後も主に日本での人気に支えられてアルバムのリリースやライヴ活動を続けたが、1999年にマッキー・フィアリーが薬物乱用で逮捕され獄中で自殺。また、マラニ・ビリューは2018年に病没してしまったが、バンドとしては現在も活動を続けている。